地域ブランドの検証:


滋賀県長浜市・黒壁スクエア

滋賀県・琵琶湖に面した湖北地域の中核都市が、長浜市である。古くは秀吉によって開発され、町の自治と年貢免除をゆるされて、商工業の街として発展してきた。近畿や美濃と北陸を結ぶ北国街道が町を貫き、水運とともに、陸の交通の要衝でもあった地の利に恵まれた。町の成り立ちはまた“町衆自治”の独立進取の精神を育むことになった。この気性が長浜の現代のまちづくりにも、大きく影響している。

湖北地域の中核都市といっても、人口わずか6万人の小さな町だ。自然景観が特別美しいというわけでもなく、めぼしい地場産業といえば絹織物の浜縮緬くらいだ。 町の資源といえば、秀吉ゆかりの歴史・文化くらいかも知れない。

しかしその小さな町にも、変化の波がおそってくる。車社会、郊外スプロール化、中心市街地空洞化、旧来の商店街の通行人数が1日わずか数人という事態にまでなった。

そのとき、歴史的建造物の保存問題が持ち上がった。今でも北国街道と呼ぶ中心商店街の象徴的な建物である「旧百三十銀行」が、老朽化から取り壊しされることになったからだ。長浜らしさの象徴であるこの建物を残したいと市民は立ち上がり、第3セクター株式会社黒壁が設立されることになる。1988年のことである。

黒壁の由来は、この建物が黒漆喰の外壁の洋館だったので、以前から“黒壁銀行”などと呼ばれ親しまれていたからだ。以後この黒壁を中心に、ゴーストタウンと化した商店街の再生のサクセスストーリーが展開されることになる。

長浜城歴史博物館や大通寺などの観光資源はあったものの、商店街を見てまわる来街者はもちろん皆無だった。それが今や、年間200万人である。

これまでの経緯は、他の資料でも何度も取り上げられてきたので詳しくは省略するが、ブランド・マネジメントという視点で見たときに、確認しておかなければいけない点について以下にまとめたい。

ひとつはやはり、株式会社黒壁の成り立ちとまちづくりに対するスタンスである。

もう一つは、長浜全体をブランドとしてのまちと捉えたときの送り手である、商工会議所や市の当事者意識の強さである。

まず株式会社黒壁であるが、設立当初には、建物を不動産会社から買い取ることだけが決まっていただけで、何を事業とするかどんな利益のもくろみがあるか、全く白紙であったという事実である。にもかかわらず地元民間から、初期資本金1億3千万円のうちの9千万円が集まった。絶対額もさることながら、市の出資金額よりも多い7割を民間で出資したというのだから驚きだ。ここに町衆の気性の一端が、垣間見える。

そしてそこから事業計画が立てられるわけだが、商店街の活性化という大義名分がありながらも、まずは事業企業に徹するというスタンスが特異だ。経営のプロがマネジメントに加わり、理念をたて経営方針のもと、しっかりとマーケティングをしたことが窺われる。

経営理念は「歴史性、文化芸術性そして国際性」だ。もちろんこれは、秀吉ゆかりの長浜市だからこその理念であり、黒壁という歴史建造物を活用するための理念である。

この理念に合致し、しかも旧来の地場産業や商店街店舗とバッティングしない事業ということで、結果として「ガラス工芸」が事業として選択された。

笹原・黒壁前社長の言葉を借りれば『行政の公平さは、じゃま』であり『商店街はある意味無視してきた。それは、同じ土俵でものを見るとこの会社も潰してしまう危険があったからだ』。黒壁はあくまでも、ガラスの製造販売が目的であって、観光みやげを売っているのではない。夢は、明快で、世界のガラス産地長浜になることだ。マネジャーとしての強烈な意志と自負を感じる。 この強さと行政からの独立性がなければ「黒壁スクエア」の成功はなかったに違いない。

外から見ると3セクということもあり、タウンマネジャーの役割を期待されて設立されたかのように思われがちだが、実際の行動は企業の行動そのものであって、事業の成功に邁進してきたのである。

ここが地域ブランドを学ぶ物にとって参考になり、事例として取り上げたもっとも大きな理由である。
それはいわば「選択と集中」である。
“公平さ”を旨とする行政では難しいまちづくり事業の選択と集中という考え方は、ブランド・マーケティングの実務では最も有効な手法だからだ。

述べたようにブランドは、受け手のこころの中のイメージである。イメージはシンプルでしかあり得ない。多面的な町のすべてを伝えようとしても、伝えきれるはずがない。何かひとつに選択集中することで“伝えるに足る相違”を生み出せるのである。つまりは、クラシックな洋館とガラス工芸品の組み合わせが、わずかではあっても若い女性やおしゃれしたご婦人層を、来街者として呼び寄せたのだ。

しかし、猫と乳母車を押した高齢者しか歩いていなかった商店街にとっては、これはシンボリックな変化であった。客がまちを変え、外からの刺激によって内に変化が生じたのだ。これがブランド・マーケティングの鉄則であり、これからのまちづくりのヒントであろうと思う。

つぎに注目すべきは、以下で述べる懐の深い上位組織の存在と、その信頼関係だ。また、地域ブランドの共同送り手のひとつである商工会議所の、当事者意識の強さも見逃せない。それは町衆自治の気性をそのまま受け継いでいるかのようだ。まちづくりに関して、絶えず方向性を示す使命が商議所にはあると、自認している。その方向性とは、水平型による都市全体活性化である。特に人口6万規模の町では、中心市街地を活性化するには商業だけの活性化策ではあり得ない、いろんな層の住民がさまざまな経済力を付けることでようやく中心に活気が戻るという考えだ。

このビジョンは、長浜まちづくりのグランドデザインであり、ブランド・ポートフォリオとも言えるものだ。各個別の商店街や、長浜城や新設された曳山博物館などの各施設、さらには大小のイベントは、それぞれ役割を与えられ、結果的にビジョンに沿って演じている。ポートフォリオとは、こうした役のキャスティングを指す。それらが相乗累積的に結びついて、ひとつの長浜というまちを創り出す。株式会社黒壁とは直接の関係はないが、上位機構といえる商議所から見れば黒壁もひとつのキャスティングであり、その役をはみ出さない限り黒壁は自社だけの役割を演じていれば良いということになる。

長浜商工会議所のまちづくりの経緯を取材していると、まるでソニーが次々と映画やゲーム機、インターネットとブランドを拡張していった、その成功の奇跡を見ているような錯覚に陥った。20年も前からブランド拡張の手法がわかっているかのようだ。

ここでは、商工会議所という組織が、まちの送り手として見事に機能しているという印象を受けた。


「黒壁スクエア」ブランド・モデル

以上のような調査結果から、「黒壁スクエア」のまちとしてのブランド・モデル(用語はこちら参照)は、次のように描くことができる。

[ブランドネーム]黒壁スクエア
1)送り手 株式会社黒壁
2)夢・理念 長浜を世界のガラス産地に
3)"まち"の強み 歴史的な街並
4)"まち"の領域 中心市街地を範囲とする買回り商業地
5)シンボル 黒壁ガラス館
6)受け手 生活に彩りを与える「逸品」を買い求める女性
7)共同送り手 商店街の他の構成員、商工会議所
8)約束 非日常的なショッピングの楽しみ、および“探していた”商品との出会い


「黒壁スクエア」のブランド・モデルを検証すると、いくつかの要素で相対的に高い採点を与えることができる。特に、送り手の存在がはっきりとしており、夢が絞り込まれている点がすばらしい。他の地域でこれほど送り手がしっかりと存在しているケースは、まれだろう。

もちろん、問題点もある。

送り手が考えているような受け手が、実際の顧客とはなっていない点だ。見出しにも【まちなか観光】地と記したように、現状「黒壁スクエア」への200万人の入れ込み客数もほとんどが、通過型の観光客だ。企業・黒壁はここ数年売上減少とともに、顧客単価も減少とのことだから、ガラスがみやげ物としか見られていないと考えられる。その意味でブランドとして受け手に、約束を果たせているかどうか疑問も残る。

ガラス工芸を地場産業として、自他ともに認めるまちにすることができるか。この送り手と受け手のブランド・アイデンティティ(こちら参照)のギャップを埋めるべく、さらにブランド・モデルを磨いていくことが課題となろう。


※「日経地域情報」(020902号)掲載記事をもとに修正加筆
※さらに手法を学ぶ→「地域ブランド戦略ハンドブック

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